「アイラブユー」勝手に解釈『Worlds end』 | Any

「アイラブユー」勝手に解釈『Worlds end』

ミスチル「アイラブユー」 場面は大空から始まる。大空を見上げる少年。大空を飛ぶ旅客機に自分の夢を重ね合わせていた。自分もどこへでも行けるんだ、いくらでも可能性があるんだ、あの飛行機のように…。この場面では、♪なんに縛られるでもなく僕らはどこへでも行ける♪ とは本気で思っているようだ。                                      ♪行き止まりの壁の前で何度も言い聞かせてみる雲の合間一筋の光が差し込んでくる映像と君を浮かべて……僕らはきっと試されているどれくらいの強さで明日を信じていけるのかを...多分そうだよ♪ この節を最後に場面が変わる。ここが題名にいう『世界の終わり』…夢から覚め、現実を歩き始める瞬間か。このあとの歌い出し♪飲み込んで…♪ は、♪…多分そうだよ♪ までの思いを“飲み込んで”との意味もあるのでは?                  次の場面では、現実を歩き始めた自分を自動販売機に例えている。マンネリな日常生活、社会の中で必要以上には気付かれずひっそりと立っている。控えめな光を放ちながら。でもしっかりと等身大の自分を見つめ、またしっかりと足元を見つめ進み始めた瞬間だった。…“飲み込んだ”思いを秘めて。年を重ねるごとに社会のしがらみに縛り付けられ身動きがとれなくなっていく。でも最後の場面では、“縛られている”のではなく“繋がっている”のだと自分を鼓舞し、その繋がりを辿って行けばやはりどんな世界の果てへもいけるのではないかと歌っている。なんとも頼もしい。